2011年11月30日水曜日

酒徒庵 -四谷三丁目-

ようやく「酒徒庵」におじゃまできました。

地下鉄四谷三丁目駅を降りてすぐ、「酒徒庵」があります。
店長の竹口敏樹さんは、以前埼玉県蕨で「チョウゲン坊」という別のお店をされており、その頃から個人的にお世話になっていました。
2年前の9月に東京の四谷に進出して、より日本酒に特化したお店として誕生したのが「酒徒庵(しゅとあん)」なのです。

とにかく日本酒をとことん楽しんでもらうお店なので、飲み物は日本酒と和らぎ水しかありません。
さらに完全予約制で、落ち着いてゆっくりとお酒を楽しむことができます。
この行灯と、入り口の注意書きを見るだけで、期待でわくわくしてきますね。

店内に入り、カウンターに座ると、目の前にはぎっしりとお酒の詰まった冷蔵庫が並んでいます。
常時700種類とも言われる在庫のお酒は、自分にとって馴染みのあるものから、初めて見るようなものまで様々です。
全種類呑み尽くすには、何日通えばいいのでしょうか。


「酒徒庵」と言えば牡蠣です。
常時10種類ほどの牡蠣があり、説明をしてもらいながら、自分の好みで選ぶことができます。
今回は、北海道昆布森仙鳳趾(せんぽうし)、三重県鳥羽浦村、広島県安芸津の牡蠣を注文してみました。
食べ比べてみると、北海道産の牡蠣が一番クリーミーで濃厚な味がし、広島産の牡蠣が一番磯の風味が強い、そして三重産の牡蠣はその辺りのバランスがとれている、という様に個性がはっきりとわかります。


そしてもう1つ、「酒徒庵」と言えば干物です。
竹口さんが現地まで行って、直接買い付けた干物がたくさんあります。
迷わずカマスを注文しました。独特の風味に塩味が効いて、お酒が進んでいきます。
他のメニューも、あおさ豆腐などのように、目を引くものがいろいろと。


とにかく、この日はよく呑みました。
お酒の種類が多いので、色々と呑みたくなってしまい、次々と注文してしまいます。知っているお酒でも、これは初めて呑むというものが、たくさんあるのです。

それぞれのお酒について竹口さんの説明を伺っていると、本当に日本酒がお好きな方なんだなあと、あらためて実感します。
ここの写真はほんの一部で、正直何杯呑んだのか覚えていません。


今回ご一緒していただいたのは、菊谷なつきさん。
ロンドン在住の日本酒ソムリエです。
お祖父さんが蔵元さんという家に育った彼女は、ロンドンで「zuma」というジャパニーズ・レストランで日本酒ソムリエを18か月努め、現在は姉妹店の「ROKA」2店舗のヘッド日本酒ソムリエをされているそうです。

やり取りを始めたきっかけである新澤醸造店の話題を皮切りに、お互いに知っているお酒や蔵元さんの話や、イギリスでの御苦労などいろいろな話が出てきました。
彼女の活躍の様子は、こちらの『● ● ● natsukipim.com』をごらんください。


たくさんおしゃべりをし、たくさんお酒を呑んだ夜でした。
美味しい日本酒と料理が、会話をより楽しく盛り立ててくれます。

完全予約制なので、予約のとれない時はありますが、それでもまた行きたいと思うお店です。
次回はひたすら牡蠣ばかり食べてみようかな。


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・日本酒と干物と牡蠣「酒徒庵
住所 〒160-0004新宿区四谷3-11第二光明堂ビル地下1階
電話 非公開
営業時間 17:00-22:30(月~金)、15:00-21:00(土祝)/日曜定休
※ラストオーダーは閉店1時間前

2011年11月22日火曜日

街の息吹

久しぶりに東京の街を歩いてみました。
鶯谷、谷中、根津、千駄木、上野。
終わりかけの秋。


下町を歩いて、ちょっと休憩。


さらにもう少し歩いていきましょう。


あの坂の向こうには、何があるのでしょうか。

お腹も空いたし、つまんでいきましょうか。
そんなちょっとした寄り道も、楽しみの一つです。


昼間から幸せだな。


橋に登っては列車を見ていた、幼い頃を思いだします。


線路は、どこまでも続く。
人の生活とともに。

2011年11月18日金曜日

さいとう酒店 酒縁の会

11月13日。

千歳市「さいとう酒店」主催の酒縁の会。
今年で早くも3回目になりました。

去年のことを振り返ってみると、もう1年経ったのかと、月日の移り変わりの速さにびっくりします。
さいとう酒店さんにとっての、大きなできごとと言えば、やはり東日本大震災です。

3月に、宮城県の新澤醸造店まで行き、一緒に後かたづけをお手伝いしたことを思い出します。

今回もお手伝いをさせていただくので、会場内で慌ただしく準備をします。今は静かなこの場所が、数十分後になると千歳のお酒好きのみなさんで、にぎやかになると思うと、わくわくしますね。

今回出品されたお酒です。この日のために出されるお酒もあるとか、ないとか。


いよいよ、開始です。入場してくるみなさんを、箏(そう)の演奏でお出迎えします。
この、お酒と音楽との融合が、酒縁の会の魅力の1つなのですね。


会が始まると、恒例の鏡割り、お酒は、「あたごのまつ」の新酒です。
全体からの「よいしょ!」のかけ声で元気よく割ると、お酒のしぶきが飛び散り、お酒の香りが会場内に広がります。


いろいろあった1年でしたが、これからはみなさんにいいことばかりが降りかかってきますように。

乾杯の後はみなさんがブースに来られて、それぞれ好きなお酒を楽しんでいき、ちょうどほろ酔い気分になった頃に、参加されている2名の蔵元さんから、それぞれあいさつがあります。

1人目は、ご存じ「北の錦」の小林専務。
いつものように参加者のみなさんを楽しませる話をしてくれます。
お酒を呑む手を休めてついつい耳を傾けてしまう、そんな魅力がありますね。


もう1人は「伯楽星」の新澤社長。
蔵の現状を話されながら、北海道の方への感謝を表されていました。
移転直後でお忙しい中、2か月連続で北海道に足を運んでいただき、こんなに嬉しいことはありません。


そして、司会もすっかり身に着いた、さいとう酒店3代目広樹さん。
さいとう酒店を地酒に特化したお店に変えてからも、焦らずゆっくりと縁をつないでいきました。
酒縁の会も、毎年徐々に参加者が増え、3回目で早くも100名を越える会に成長。
これからが楽しみなお店と、酒縁の会です。

そんな中「北の華」のブースは、行列が途切れることがなく大盛況。
スタッフのみなさんは目まぐるしく動いています。

「北の華」の大将、林さんは、やはり3月に新澤醸造店で片付けを一緒にした方。
お店を1週間スタッフに任せて、慣れない力仕事をされていました。
気持ちの熱い方です。


今回のお寿司は、
・生本鮪赤身(青森大間産)
・活ほっき(網走産)
・いくら(函館産)
・金目鯛 わらタタキ塩添え(銚子産)
・サンマかぶら寿司(根室)
の5貫。目の前で握ってもらえる訳ですから、美味しさもよりふくらみますね。

今回はホテルの料理にも工夫がされていました。
何度も打ち合わせを重ねて、出品するお酒に合うもの、そして和食を中心にしてもらったそうです。

こういう場には珍しい、海鮮類の珍味やかすべなども出されていて、これはお酒が呑みたくなるな、と思いました。
参加者じゃないことが、ちょっと残念に感じられました。

お酒との相性やみなさんの好みなど、課題はあるのですが、こういう細かいところの進化も、今後楽しみなところです。

お酒のブースも大盛況、でも雰囲気はずっと和やかなままです。
3回目になり、みなさんも慣れてきたのか、自分の好みのお酒だけを楽しむのではなく、色々なお酒を味わう姿が多く見られました。


いろいろなお話ができて、ブースに立つ方としても、こんなに嬉しい事はありません。

そして、会がかなり盛り上がってきたところで、MusicWaveの演奏が始まります。
会場も大盛り上がり、演奏の後にはアンコールの声も飛び出しました。


ただひたすら、お酒を呑むのではなく、
音楽とおしゃべりと一緒に、お酒を楽しむ。
そんな雰囲気が感じられる会です。

会の最後は新澤さんの一本〆です。
来年もみなさんと、この場でお会いできることを願って。


会が終わってから、みんなで記念撮影。
左から新澤さん、1人飛ばして小林さん、林さん、斉藤さん、この縁がさらにお酒を楽しいものにしてくれますように。


会が終わってからの反省会では、来年に向けての楽しい話がいろいろと出てきました。
そして、東日本大震災の話にもなり、これからもできることは続けていこうという話も。

会も重ねるごとに、札幌からのお客さんも増えてきました。
毎年11月の風物詩として、会の雰囲気は大事にしながら、さらに大きくなってほしい会です。


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「さいとう酒店」
住所 〒066-0047千歳市本町1丁目13番地
電話 0123-23-2026
営業時間 10:00-20:00/日曜定休

2011年11月16日水曜日

10月の東北 ―気仙(陸前高田・大船渡)―

陸前高田市。
気仙という方がいいのかもしれません。

古の時代、北は大船渡から、陸前高田、気仙沼、そして南の本吉までが、陸奥国気仙郡という名で1つの地域として治められていました。
その後、歴史にもまれる中で、最終的には明治政府によって、現在のように岩手県と宮城県に分割されてしまいましたが、 今でもこの地域は「気仙」という名前に強い誇りがあるようです。

津波で家を流された気仙沼大島のみなさんが、口をそろえていたのが「一番大変なのは陸前高田だ。」という言葉。
気仙沼から国道45号線を走り、陸前高田に入っていきます。

気仙川を越え、市街地だったはずの場所に降りたって言葉をなくしました。
どこから何を見たらいいのかわかりません。

街が1つなくなっています。


酔仙酒造の地に向かってみると、今は廃車置き場になっていました。
3月11日は甑倒しの日、それは1年間の苦労が報われる日、そしてその準備の真っ最中に地震が起こったのでした。


壊されたフォークリフトと散乱したP箱が、何かを訴えかけているようです。

気仙中学校、そして高田高校。
地震が来る直前までは、明るいにぎやかな声が響き、生徒が走り回り、当たり前の光景が繰り広げられていた学び舎から、人の気配がなくなっています。


ただ呆然とするだけ。
あるべき声がないということは、こんなにも心を締め付けるものなのでしょうか。

隣の大船渡市まで、少し足を伸ばしてみました。高田の街よりは建物は残っていますが、港は冠水し、建物はどれも破壊されていました。


高田の街に帰ってきました。あらためて街がなくなっている現実を突き付けられます。
かろうじて残っているのは鉄筋の建物だけです。


いるべき場所に、人の姿もなく声も聞こえません。

海岸沿いを走ると、土嚢で海水を防いではいますが、道路の高さと海水面がほとんど変わりません。
破壊された防潮堤の位置から、どれだけの砂浜が海に沈んだのかという現実を、ここでも突き付けられるのです。


第一中学校に向かう道を登っていきました。テレビで何度も流れた映像が撮影された場所です。

真下にあった酔仙酒造が波に呑まれる光景を、何度見たことでしょう。
その場に立つと、表現のできない気持ちがこみあげてきます。



あの日までは、このように高田パイパスを下って来ると、
目の前には懐かしいホッとする光景が広がっていたはずです。

今は現実を見せつけられるだけ。

でも、
覚えているあの光景を取り戻すために、
人はもう動き始めているのです。

津波が来る前は、70000本もの見事な松林があった高田松原で、唯一津波に耐えて残った希望の松。
復興への願いを、一身に引き受けています。


一人ですべてを背負うのはつらいけれど、そっと一緒に寄りそって、話を聞いてくれる人はたくさんいるはず。

何もできなくても、それだけはしていたい。