2011年11月8日火曜日

10月の東北 ―志津川・気仙沼―

10月8日から10日の3日間で、宮城・岩手を訪れました。
3月以降4回目です。


今回は震災後初めて仙台空港を利用しました。
去年の11月以来なのでほぼ1年ぶり。

新千歳を出て約1時間、いよいよ着陸が近づき、海岸線が視界に飛び込んでくると、言葉をなくしてしまいます。
あのきれいな海岸線があった場所に、無限に伸びる一筋の土色の線。


南三陸町志津川。
前回訪れたのは3月27日、震災のほぼ2週間後でした。

街は色を失ったまま。
しかし、仮設のコンビニエンスストアが立ち、青空ガソリンスタンドが営業を再開している様子からは、前を向いて生きようという、みなさんの強い気持ちが感じられます。

「さかなのみうら」さん。
震災後、少しでも早く営業を再開し、復興を進めたいと活動されている方。
強い思いが感じられる「よみがえれ故郷 ふんばれ 南三陸町」の言葉。


公立志津川病院。
3月に、言葉をなくした場所。
今も残る割れた窓や汚れた壁、そして屋根にのせられた漁船が、ここまで浸水したという事実を突き付けてきます。
あの高さまで水のかたまりが来るということを、あらためて想像してみます。


3月と同じ病院正面からの光景、冬の空から秋の空に変わった以外は、何も変わっていないように思えます。
時間が3月11日から止まったままです。

病院の向かいには、あの日一人も犠牲者を出さなかったという「吉野会館」。
一晩中津波と寒さと闘いながら、志津川病院に残った方たちと、暗闇の中でどんな会話を交わしていたのか、自分はただこの光景を忘れないようにすると誓うだけです。


すぐ近くの防災対策庁舎に、多くの人が集まっていました。
少し早目の7か月の慰霊祭だったのか、それとも津波で亡くなった方の大事な日だったのでしょうか。
いくら時間が経っても、悲しみだけはなくなることはない。


津波に流された鉄道橋。写真奥にあるのが清水浜駅。
駅のホームに人がいる、いつもの光景も失われたままです。


気仙沼市。
近くのホテルの屋上に上げてもらい町の南側を見渡すと、解体された建物が増えて8月よりも更地が目立つようになった気がします。
港は地盤沈下が進み、震災前より10mほど内陸部まで冠水していました。


エースポート前にある「伏見男山」の男山本店事務所。3月、8月と訪れていますが、周りは少しずつきれいになっても、この建物だけはとり残されたまま。

周りが暗くなってから、フェリー乗り場があった辺りに向かってみました。
津波に流され、火災により焼け出された建物が、7か月経っても生々しく残され、いまだに焦げたような臭いがただよってきます。


静けさと暗闇だけが広がる向こうに見えるのは、大型ショッピングセンターの灯り。
街も少しずつよみがえろうとしているのです。


水面に映った月を見ていると、渡る風が自分を現実に戻します。

今はまだまだ先のことは見えません。
でも、闇夜の日ばかりではなく、月夜の日もあります。

そして、明けない夜はない。
それだけは信じたいと思います。

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