2012年8月27日月曜日

日本酒スタンド 酛 ―新宿5丁目―

地下鉄新宿3丁目から徒歩数分。
昼から日本酒を楽しめる、居心地の良い空間があります。

ほぼ交差点に面したビルを地下に下ると、おしゃれな空間が。
それが「酛」さんです。

店内を見てみると、壁には蔵元さんからの書き込みでびっしりです。
カウンターだけのスタンドバーなのですが、こんな賑やかなところは立ち飲み屋さんの雰囲気と言ってもいいのではないでしょうか。


お酒の種類もさることながら、「酛」での楽しみは料理にもあります。
お通しの小鉢がまず楽しみなのですが、それ以外の料理も手をかけた美味しいものばかり。
ついついお酒が進みすぎる訳です。


「酛」と言えば、香川県の「川鶴」です。
川鶴酒造の川人裕一郎社長も、「酛さんには、大変お世話になっております。」と、強い繋がりがあることをお話しされていました。
その店ならではのお酒を呑むのも、お店での楽しみ方ですね。


店長の島田健太郎さん、ただお酒についての蘊蓄を話されるのではなく、楽しい雰囲気を醸し出すのが上手な方です。
リラックスして、楽しくお酒を呑めるのは、島田さんの人柄なのでしょう。

下の写真は、7月に「地酒屋こだま」の児玉さんとおじゃました時のもの、こんなお茶目な一面もあるのですね。


ちょっと時間がある時、または本格的にお酒を呑みたい時と、いろんな目的でおじゃまできるお店です。
新宿に寄った時は、欠かせないお店になりました。


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住所 新宿区新宿5丁目17-11白鳳ビルディング地下1階
電話 03-6457-3288
営業時間 15:00-23:30(土日12:00-21:00)/祝日休

2012年8月26日日曜日

こごたの地酒屋 斎林本店 ―宮城県美里町―

宮城県遠田郡美里町小牛田。
田園風景の広がる中に「斎林本店」はあります。
店の前には江合川が流れ、夏には目の前で花火大会が開催される、のんびりとした街です。


六代目の斎藤高史さんが店に戻ってきた時は、普通の酒屋さんでしたが、地元宮城県を大切にしながら、全国の蔵元さんと交流を持ち、地酒専門店として遠く離れた場所からも知られるお店になりました。

しかし、東日本大震災では、自宅と倉庫が全壊し、お店も大きな被害を受けました。
3月11日だけではなく、4月7日の余震では店にとってダメ押しとなるような、大きな被害がさらに出たそうです。
全国から多くの励ましを受け、1年以上経った現在になって、ようやく立て直しと修理が進んでいます。


店内を見てみると、たくさんのお酒が並べられていますが、圧迫感はまったくありません。空間を上手に利用されています。

お酒の種類も、地元宮城のお酒を始めとして、日本酒も焼酎も全国から集めた魅力的なお酒ばかり。
そしてそれぞれのお酒の説明を始めると、斎藤さんはもう話が止まりません。お酒に対する愛情と、自分の売っている商品への自信が、こちらに強く伝わってきます。


小牛田小学校の児童が作製した掲示物が貼ってありました。
職業見学に来たり、田植えや稲刈りをしたりと、地域に根付いた酒屋さんであることがわかります。

地元の子どもたちの中から、1人でも多く農業に関心を持って従事する人が増えたり、日本酒を呑む人たちが増えたりすれば、日本酒の未来は明るいですね。
そんなきっかけになっている斎林さんは、すばらしい酒屋さんだと思います。


ちょうどお店に来られた、阿部勘酒造店の阿部昌弘専務と、斎藤さん。
斎藤さんは僕と同じ歳ですが、頼れる兄貴分のようなかっこいい方です。


斎林本店は、基本的には町の酒屋さん、ネット販売は現時点では行っていません。
でも、直接お店に来ることができない遠くの方も、せめて電話でお話をすることで、お酒選びのお役に立てれば嬉しい、そんな気持ちのあふれた居心地の良い、安心できるお店です。


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住所 〒987-0003 宮城県遠田郡美里町南小牛田町屋敷124
電話 0229-32-4246

営業時間 09:00-20:00(日祝日09:00-19:00)/火曜定休

2012年8月25日土曜日

歴史の継承 ―新澤醸造店 三本木蔵―

旧宮城県志田郡三本木町。現在の大崎市三本木、新澤醸造店がある街です。
いつの時代も豊かな、鳴瀬川のほとりの穀倉地帯で、新澤醸造店は発展しました。


平成23(2011)年3月11日、東日本大震災による震度6強の地震で、新澤醸造店は全壊指定を受けました。
川崎蔵に造りの中心を移してからも、しばらくは建物が残っていたのですが、今年ついに解体されてしまいました。
解体された跡地を、見に来ました。

三本木のバス停で降りて、いつもの場所に立ちます。
建物だけではなく、門柱や塀も含めてすべてがなくなっていました。

事務所はどこか見てみると、すぐ左にあるとの看板が。
古い洋品店が、新澤醸造店の仮店舗になっていました。


蔵の敷地に戻って、全体を眺めて見ました。
「思っていたより狭い場所にあったんだな…」というのが正直な感想でしたが、後日杉原専務とお話しした時には、「思ったより、広いんだな…と思いました。」との感想を持たれたとのことでした。


蔵へと続いた道、解体前は道の右側に事務所と母屋があり、その向こうに3棟の蔵が立っていました。


みんなでワイワイとお昼を食べた場所も、今は更地となり、奥にコンテナだけが残っています。


コンテナの前に、ぽつんと犬小屋がありました。
人がいなくて活気がないと、とても寂しいね。

敷地の奥から、入り口側(道路側)を見てみました。
右手奥の道路側に見えるのが、現在の仮店舗です。こうやって見ると、結構広いのかもしれません。
左手の仙台銀行跡も近々更地になり、道路側に新澤醸造店の店舗と母屋を建て直すそうです。
残りの土地も、有効に使うことができるように、いろいろと考えているとのことでした。


新澤さんが来られたので、店舗の方におじゃましました。
札幌のみんなから送られた写真が、新澤さんの机から見える場所に、大事に飾られていました。


仮店舗の中には、蔵から運び出された昔のものがたくさん飾られていました。
新澤醸造店に縁の深い、土井晩翠の歌や愛宕の松の写真など。

古いかけ時計は、いずれまた動かしたいと思っているそうです。こうして新澤醸造店の歴史が、また紡がれていくのですね。


目に着く場所に、大きく名前の入った皮の鞄が大切に置かれていました。
新澤順吉さん、この方が、新澤醸造店を発展させたのだそうです。一番賑やかだった頃のお話も聞かせていただきました。


新澤醸造店の繁栄を表す琺瑯の看板。
新しい店舗に、この看板がかけられる日を楽しみに待ちます。


「写真をたくさん撮っておいてくださいね。」と新澤さんに言われました。
「以前あった三本木蔵と、現在の仮店舗、そして未来の三本木、さらには川崎蔵と新澤醸造店のすべてを見ておいてください。」と言っていただきました。
大切に記録しておきたいと思っています。

今回の訪問でも、やっぱり三本木は晴れでした。
青空に、鎮守様の木々が生えます。何度来ても、気持ちが良くなる場所です。


造りは川崎に移っても、新澤醸造店の心は三本木にあるのです。


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・「新澤醸造店(三本木本社)」
住所 〒989-6321 宮城県大崎市三本木北町63
電話 0229-52-3002

2012年8月24日金曜日

8月の東北 ―気仙沼大島―

気仙沼港から、大島汽船のフェリーに乗船して25分の船旅。
亀山を左に望み、浦の浜に近づいて来ると、以前よりも養殖イカダの数が多くなっていました。

10か月ぶりに大島に上陸です。
港に着くと、乗客と自動車が一斉に動き始めます。夏の大島に、少し活気が戻ってきました。
フェリーに貼られた横断幕に、応援するみんなの気持ちがこもっています。


とは言え、まだまだ津波の痕跡がなくなった訳ではありません。
海底に沈む漂流物との戦いは、まだまだ続いているのです。

傍らにはサルベージされた重油タンクが転がり、津波から難を逃れた「海来」にいたっては、船底を痛めてしまったそうです。
現在修理待ちだとか。


大島に上陸すると、亀山リフトがなくなってしまったことに、寂しさを感じます。
塩で錆びてしまった鉄柱が、見るからに痛々しい。


リフトの跡地を通り、観光協会に向かって歩いていると、ひまわりの花が植えられていました。
「津波に負けないぞ。」という気持ちと、「美しい大島を再生させたい。」という気持ちが伝わってきて、胸が熱くなります。


自転車で、島内を移動してみました。
浦の浜から田中浜に抜ける道は、こんなに何もなかったのでしょうか。

3月11日には、それぞれの浜から進入した、この青看板の先で津波がぶつかり、大きな水柱が立ったのです。
島のみなさんは、「覚悟を決めた。」という話を伺いました。


田中浜まで来ると、積んであった廃車の山がずいぶん小さくなっただけではなく、がれきも分別されて、それぞれに積まれていました。
でも、まだまだ堤防の修理までは手が回っていません。


こんなに海も空もきれいなのに、
海底をさらっていないので、
今年も田中浜では海水浴ができないそうです。

田中浜から、小田の浜に移動しました。
最後の小さな丘を越え、下り坂を滑っていきます。自転車に乗っていると、潮風がとっても気持がいい。本来は、そんなのんびりした場所なんです。大島は。


小田の浜を抜けて、長崎まで来ると、お世話になった民宿の敷地に重機が入っていました。
好きだった景色がまた1つ減りました。


港に茂った青い藻が、満潮時の冠水を表しています。
傾いた灯台といい、まだまだこの辺りは手つかずです。
のんびり泳いでいるカモメたちは、大津波があったことを覚えているのかな。


小田の浜は、海水浴場としてオープンしていました。
今夏、宮城県で唯一の海水浴場だそうです。

お客さんはまだまだ少ないのですが、夏の大島にははしゃぐ人の声が似合います。
海辺で食べる、気仙沼ホルモンは美味しかったです。


海を眺めてボーッとしてから、2軒ほどお世話になった方にあいさつに伺いました。
今回の震災で、あらためて大島架橋が必要だという話になったこと。
ただ橋ができることによって、島の人口が減少しないか心配だということ。

わかめの養殖についてのこと。
そして、2月から4月の間であれば、わかめを直送してくれるということ。
あの美しい「緑の真珠」の復興に向けて、一歩一歩歩んでいるのです。


帰りのフェリーに乗ると、
いつものようにかもめが見送ってくれました。

「またおいで、今度はもっと復興しているから。」という、
かもめの声を耳にして、
大島を後にしました。


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住所 〒988-0665 宮城県気仙沼市浦の浜108-11
電話 0226-28-3000