2011年11月10日木曜日

10月の東北 ―気仙沼鹿折・気仙沼大島―

気仙沼市鹿折(ししおり)地区。
気仙沼湾の最北端に位置するこの地区は、大津波に襲われた直後、さらに大規模火災が発生しました。

津波で流された重油タンクと、被災した船から大量の油が流出し、その油に引火した火災が街を包みこんだそうです。
3月11日深夜にテレビで見た光景は、衝撃的なものでした。

鹿折唐桑駅前に残されたままの「第十八共徳丸」、330トンの巻き網漁船です。
3月に港町に残されていた「第三明神丸」、あの船も379トンありました。
これだけの船が、津波に流れてグルグルと回っていたら、その破壊力は想像を絶するものがあります。

市では船と周辺を整備して、モニュメントとして残す計画もあるようです。


鹿折は水産加工の街。
コの字型岸壁にあった各工場は、壊滅的な被害を受けました。
今までは当たり前のように手に入った、缶詰やフカヒレスープなどが買えなくなってしまいました。
津波は街だけではなく、街らしさまで奪ってしまいます。


辺りを見渡すと、火災の痕跡があちこちに残り、いまだに燃えたような臭いが残っています。
残った建物も、大型漁船になぎ倒されたのか、鉄筋の建物までが壊され、他の街とは違った様相を見せています。


残された、壊れた建物と黒く焦げた建物の間を、まっすぐに新しい道と電信柱が伸びていました。
復活に向けて、これからの方向を示しているかのようです。


気仙沼大島。
8月以来2か月ぶりです。

1年ぶりに亀山に登ってみました。
島の形は大きく変わりませんが、津波の痕跡が目立ちます。
陸地には土色の部分が増え、砂浜は狭くなり、そして田中浜は廃車置き場に。
『緑の真珠』に戻るにはまだまだ時間がかかりそうです。


亀山展望台から、対岸の気仙沼市松岩地区を望んでみました。ここも更地の部分が目立ちます。さらに向かって左手、階上(はしかみ)地区から本吉町大谷海岸まで、このような景色がずっと続いているのです。

 

鳴き砂で有名な十八鳴浜(ぐぐなりはま)。
砂浜は狭くなっても、海の美しさは変わりません。


小田の浜(こたのはま)に行くと、漁師のみなさんが総出でワカメの養殖用ロープを結んでいました。いつもお世話になっているみなさんも、賑やかに作業されています。
明るい声が、素直に嬉しい。


「家も船もすべて流されたけど、まずはやれることをとにかくやるしかないんだ。」と静かに話してくれました。
静かだけれど、力強く。


広島県江田島からの助っ人フェリー。
日本中が、いや世界中の気持ちが、大島に繋がっています。

2 件のコメント:

  1. 8ヶ月が経過した今でも、こんな状況なんですね。

    でも、美しい海が、せめてもの救いです。

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  2. >>まっちーさん
    全体的に宮城県は進み具合が遅いようです。
    でも、みなさんから少しずつ明るい言葉が出てくるようになったのが嬉しかった、今回の訪問でしたよ。

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