2011年12月24日土曜日

138年を次代に繋ぐ ―新澤醸造店 三本木蔵―

宮城県大崎市三本木(旧志田郡三本木町)、1873年に新澤醸造店はこの地で創業しました。
昭和の初期などは、町に3台しかないタクシーがすべて玄関前に待機しているような、大きな家だったそうです。


2番という電話番号は、三本木町役場の1番に継ぐ番号。
つまり町一番の名士でした。

蔵に歴史があるように、新沢醸造店もいろいろな時代の波にもまれていくことになります。

昭和末期の不遇の時期。

平成20年(2008)の岩手・宮城内陸地震での被害。
地震の直後、朝のテレビに出た時の、新澤さんの顔を忘れることはできません。

しかし、それらを現スタッフで乗り越え、「あたごのまつ」「伯楽星」の酒質に手ごたえを感じ始めた138年目の今年、あの地震が起こりました。

地震の多い宮城県で、何度も大きな地震に耐えたこの蔵も、今回は力尽き、全壊指定を受けてしまいました。
そして今回、製造部を柴田郡川崎町の川崎蔵に移し、三本木蔵は解体をすることになりました。


解体直前の三本木におじゃましてきました。
おかみさんに挨拶をすると、案内をしながらお話をしてくださいました。
蔵の解体を急ぐのは、倒壊の危険があることは言うまでもないのですが、実はハクビシンなどの野生動物が住みつくことも問題なのだそうです。

利き酒をするたびに、驚きがあったこの部屋。
釜場にも人の声はなく、もう火が入ることもありません。


1年前の11月に蔵を訪れた時、新澤さんが「麹室を改修しました。今年のお酒は、今までよりもさらにいいものができますよ。」と自信に満ち溢れ、明るい顔をされていたことを思い出します。
あの日新澤さんは、麹室で被災しました。


蔵の中の道具が川崎に移され、ガランとした蔵の中を歩いてみると、あちこちに地震の傷跡が残っています。
もろみの飛び散ったタンク、壊れた足場、崩れた壁、そして蔵自体が表現できない歪み方をしていることに気がつきます。


人気のない蔵の中にいると、
みんなの声が響き渡っていた時を思い出します。
こんなにも静かな場所だったのですね。

来るたびに、2匹に吠えられたのも、今となっては懐かしい思い出です。
これからは静かに過ごせるね。


蔵は解体されますが、本社は引き続き三本木に残ります。
世界各地から寄せられた、新澤醸造店に対する想いと共に。


三本木は青空の似合う街。
今までに何度も訪れていますが、不思議と雨にあったことがありません。
3月の震災直後にお手伝いに来た時も、不思議なくらいの青い空が広がっていたことが印象に残っています。

全壊し、その姿が痛々しい建物たちに対しても、青空はいつも平等です。



夕刻が近づき、色が変化していく空を見ていると、その色が解体を待つ蔵の姿と重なって見えました。
胸がいっぱいになり、138年間本当にお疲れさまでしたと、思わず口にしました。

製造の要としての三本木蔵は役割を終え、ひっそりと歩みを止めることになりました。
でも、新澤醸造店の命は川崎蔵に受け継がれ、未来の「あたごのまつ」「伯楽星」が造られていくのです。

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